荒野の牧場

観た映画についてメモします。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観て、好きだった。

長らく続いたシリーズの完結編について語るとなると、

そのシリーズと自分との関わりをどうしても書く必要があるのかなと考えてしまう。
そうはいっても私と『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズとの繋がりは分かち難いほどの繋がりは正直無く、かといって人生の中で簡単に忘れられる存在かといえば、そういう作品でもない。
エヴァの名を冠したゲームはプレイしているし、ゲストでロボットが参戦するゲーム(変にぼかしたが要はスパロボ)でもお気に入りで使った経験もある。
TVシリーズがどこかで再放送していたら思わず手を止めて見てしまう。
じゃあ関連グッズが出たら必ず買うかというとそうでもなく。
まぁ、そこそこの付き合いといったところか。


そんな私にとって新劇場版シリーズが各作品、どんな印象だったのかを簡単に書くと、こうなる。


序→リブートって感じなんだなー

破→普通にロボットアニメしてるー

Q→(閉口。戸惑いといつもの感じが戻ってきた雰囲気への喜び)


意外と「破」までは冷静な目線と作品を楽しむ気持ちが両立していた気がする。
一方で「Q」は前作で気持ちを昂らせた人々をある意味どん底へと突き落とす所業に驚きながら、次第に追い詰められ、

自分にとっては救いになる信じた愚かな行為をしでかしてしまう1人の少年の姿に心惹かれたりもした。心の中を埋め尽くした絶望が、思ってもみなかった方向へ物語を転ばせてしまった危うさ。

当時、この後どう決着をつけるんだろうと正直不安にもなったが、

にも拘わらずこんな結末を用意した「Q」を、私は嫌いになれなかった。

というか4部作のうちの3作目ですし、次でどうにかすれば良いのだ、という楽観的な気持ちも若干あった。

心身ともに削り取られたシンジ、彼を無理やり立たせて歩かせる式波、黒い綾波(以下、黒波としてしまおう)の3人の彷徨が始まり、
その後新劇シリーズが8年の沈黙に至るとはその時予想していなかったのだけれども。


そして迎えた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は、多分、この新劇シリーズの中で一番好きかもしれない。
エヴァの戦闘シーンやVFX、キャラクターのドラマ関係で一番燃えるのは「破」だし、
不安定さで一番ドキドキさせられるのは「Q」

一番バランス良く纏まっているのは「序」だろう。
何か特定の要素で一番を挙げるとすると前作までのどれかを迷いなく選んでしまうと思う。

でも一番好きなのは本作である。


なんかもうこれが結論、終わりでも良いのだが、それではあまりにも短すぎるので好きな部分を挙げる方向で進んでいく。
結論は変わらずに「シリーズで、一番好き!」なので、あとはその場所へ至るまでの遠回り、迂回した道だ。


まず好きなのは前半1時間である。
第三村での黒波が送る日々と並行して、

シンジの心が回復するまでを描くシークエンスだ。
穏やかに、しかし懸命に生きる人々と共に農業を手伝いながら、人から様々な言葉(おまじない)を学んでいく黒波。
一方で何もせず、喋らず、式波に罵られ、それでも無反応のシンジ。
黒波が第三村で教わった言葉と考えはシンジの頑なな壁を通り抜け、彼の崩れた心を再建していく。


多分この約1時間が一番泣けたかもしれない。
序盤のシンジの姿は完全に心が折れた人間の生活風景だ。
とにかく何もしたくないし、何もしなければ誰かに何も作用することは無い。

だから何もしない方がいい。
こうなると精神の蟻地獄に陥って、本当に身体が動かなくなってしまう。
そのようになってしまったシンジの姿がとても辛かった。
そんな彼が回復するきっかけになるのは黒波になる訳だが、むしろ黒波をこのように変化させた第三村に生きる人々が、シンジの心を変化させたといってもいい気がする。

人と人との繋がりによって様々な経験をした黒波が、今度は第三村とシンジとの繋がりを担う。

繋がりが繋がりを生み、その連帯がシンジの心を回復させていく。


叱咤激励も一つの方法としてあるのかもしれないが、ただ何も言わず寄り添い、帰ってきた時は迎え入れる。

そういう手段だってあるんだというのを提示している気がして、妙に沁みてしまった。

考えてみれば「Q」で一人の少年の心が壊れる瞬間を徹底的に描き、そしてその再生を完結編の約1時間を使って描写した。
ここまでやるシリーズは他にあるのだろうか。知らないので何とも言えないが。

誰か特定の、主人公にとって身近な1人の存在が主人公を導くというストーリー展開は色々にあるけども。


農業に回帰した第三村の描写、最初は高畑勲監督や宮崎駿監督が描いた理想的な農村社会とシンジの回復を促してくれる理想郷が重ねられたように感じていた。何とも斜に構えた目線だ。

しかしその後に株式会社カラーがyoutubeで公開している「よい子のれきしアニメ おおきなカブ(株)」を見直して、あぁこれかと。


よい子のれきしアニメ おおきなカブ(株)

 

作品の内容と監督個人を重ねて考えすぎるのもどうなのかという話にはなりそうだが、
第三村での描写はこの短編アニメの内容が一部下敷きになっていると思われる。


第三村では14年経って年齢を重ねた、かつてのシンジのクラスメイトが登場する。
ここで私が次に好きな要素である相田ケンスケも出てくる。
好きな理由は彼の立ち位置だ。

というのも本シリーズでは碇シンジと彼の父親である碇ゲンドウの父子の関係性、
そしてゲンドウの隠された内面がストーリーの核になってくる。

最後まで観て思ったのは、今回成長して大人になった相田は、ゲンドウの対極に位置するキャラクターとして設定されたのではないかということだ。
いうなれば目覚めたシンジにとって精神的な父親とでもいおうか。
もちろんかつては友達だった訳だが、時を経て、友達みたいな父子になっちゃった、というか。


相田はもう一人の友人である鈴原に「サバイバルオタク」などと評されるが、基本的には色んな方面に詳しいキャラクターだ。
そして一方のゲンドウもまた若いころから知識を蓄えていた過去があったのを映画の終盤で私たちは知る。
ニアサードインパクト、略してニアサーが起きた時、相田の知識によって随分救われたと成長した鈴原がこぼす。
相田は持てる知識を外に出すことで関係性を保ち、新たな繋がりを構築していったのではないか。
他方ゲンドウはその知識によって一人、内側に籠っていった。
他にも「序」において綾波がゲンドウを慕う姿と、本作でのアスカがアスカなりの距離感で相田から離れない様子が重なる。
相田の存在が強く前に出ているとこのキャラクターの対極にいる存在は誰だろうかと考えてしまい、結果浮かんだのがゲンドウだった。そうして色々と推測が浮かんだだけなので、考えすぎといわれたら閉口せざるを得ないのだが。


だが子が父親にしてあげられるのは「肩を叩くか、殺すか」であるにしても、対して父親が自分の子にしてあげられるのは、旅立ちを見送ることなのではないか。
そう思うとやっぱり今回の相田はシンジにとって(そしてアスカにとっても)
精神的な親、頼れる人、師匠とか、そんなポジションだった気がする。


3つ目に好きなのが終らせるためにしたこと。
完結編といっても「終った……のか?」と感じる完結編は色々ある。
エヴァシリーズが取った完結、それは「退場」だった。
ゲンドウが何も語らず、冬月が思わせぶりな笑みを見せ、加持さんがよく分からないが凄そうな用語を並べて話す。
これでエヴァシリーズはまだまだ続けられなくもない。あとは使徒をじゃんじゃん出せばいい(元も子もない表現だ)。
そんなシリーズを終わらせるにはどうしたらよいか。

キャラクターを退場させれば良い。


加持さんがどうやってニアサーを止めたのか明らかになっていないが、多分そこはずっと語られない気がしている。
まず何よりもこの人を退場させることが優先されたからだ。
退場させることで一番関係の深かった人物のドラマに影響をもたらす。今回でいうならミサトにあたる。
加持の不在と彼の忘れ形見にこれまでのシンジとの関係が作用し、ミサトの本作での迷いに深みが生じていたと思う。


特撮オマージュに溢れた撮影現場のバラシ(解体の意)は、心の内側をバラすのと重なる。

語らなかったゲンドウが語り、それに呼応するように冬月も消えた。
シンジを好きになる役割からアスカ、レイも解放されて退場し、シンジの為の生きるカヲルもその役割を離れていく。
そしてエヴァンゲリオンエヴァシリーズ、更にはシンジ自身も。


登場キャラクターがみんな幸せに生きて終わりです、というのはファン的にいったら見たいが、それはまたいつか始められる可能性を留保している側面もある。

これからもエヴァシリーズは作られ続けそうな気はするけども("さようなら"はまた会う為のおまじないらしいです)、
旧劇から年月を経て精神的な変化を遂げた今だからこそ作れる終着点は、あっても良い。
機動戦士ガンダム」シリーズにおける「∀ガンダム」のような存在。
それが新劇シリーズの、シン・エヴァなのかもしれない。


ラストのアニメから現実になって空撮になる映像は、現実に帰れ!! 
と強迫観念的に言われている感じはしなかった。
むしろエヴァの中で魅力的に見えた電線なりビル群はこの現実にだって存在するし、見せ方次第で同じぐらい魅力的に見える。
エヴァが無くてもエヴァで芽生えた感情は現実でも起こせるのではないか……と、ポジティブに捉えられた。


外に出てスマホで何気なく電柱、もしくは変わった形状の建物を撮る時に、少しだけアングルを下向きにしてみる。
そうすると急に世界はアニメになるし、あなたにとってのエヴァになっちゃうかもしれない。

そう思うと現実だって悪くない。


他にも色々と好きな部分はあるし、一方でちょっと落ちるなと感じる部分もあるが、今はお疲れ様でした、ありがとうございました、寝ようという気持ちです。
庵野監督の新作、シンウルトラマンも一応入るのか?

次回作も待ち続けます。さようなら。

 

One Last Kiss

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『すばらしき世界』と『身分帳』に浸った。

西川美和監督の最新作を鑑賞。
公開前に流れた評価の高さ、あらすじ、予告で気になったので足を運んだ。この方の作品、どれも評価が高いのに自分ちゃんと観られてないなーと思い返してたら、そういえば『ディア・ドクター』は鑑賞していた。あれは結構良かった印象。

で、全体的な感想として憎めない映画だった。
良い作品であるのは間違いないのだが、細かいところで気になる部分がちらほらとあり、それが積み重なる。
街でサラリーマン風の男に絡むチンピラ2人の描写、こういう感じかー、介護施設の陰口のこういうのかー、最後の最後でこういう展開かー……などなど。

にも関わらず感動しちゃってる自分もいる。
だから大好きまでは行かず憎めないな、という気持ちで折り合いをつけたと表現すれば良いだろうか。
私たちが生きる世界がなぜこんなに面倒くさいかといえば、この世界は人の相互作用によって成立しているからだ。作用を起こす人間はそんなに完璧でなく、故に悪意に満ちている。でもその一方で、優しさにだって満ちている。この現在の世界は感情によって満杯になることは無くて、ずっと色々なものが混ざり合い溶け合いながら、波を起こしたり凪になったりもする。

その変化が如実に表れるのが、結局のところ人と人との関わりの中においてだ。
その関係性の中で生まれる尊さ、残酷さを捉えた作品全体の目線が本作には満ち満ちており、間違いなく心に残ってしまうのだ。
(この映画で私は六角精児氏の演技に初めて胸を打たれた。特に買い物袋を持って一緒に三上と帰る場面)

映画が終わればその映画の中で生きている人達の人生も、そこで終了する。だからその映画が好きだと、登場人物達がその後どうなったのか、どうなっていて欲しいのか、をついつい想像してしまう。

本作はある意味、その想いを予断なく断ち切る。
本作は、美しさや残酷さが感情的にも制度的にも両立してしまっているこの世界についての映画であり、それが充分に描かれれば、それで終わりだからだ。

しかしやっぱり、どこか街の片隅で生き続けようしている人がいるんだと、何もかもまだ始まったばかりなのだと、そういう風に感じて終わりたかったなーと思ってしまった。「こういう世界、こういう社会、こういう現実なんですよ」といわれてしまったら、何も言えないのだけど。閉口せざるを得ないタイトルの出し方。

こうやってウダウダと考えしまうのは、三上の激しくも純粋な感情、傷の残る背中が映る時に垣間見える弱さが、あまりにも素晴らしいからか。彼と関わる周囲の人が表現する思慮深さも好き。そう思わせてくれる演技をみせた役者陣、素晴らしいです。
ただ長澤まさみは、よくこの役を受けたなぁとちょっと考えてしまった。ああいう立場の人が出るのは良いのだが、それにしてはあまりにも書き割り過ぎやしないか…と、こんなところでも気になる箇所が。

で、この後に本作の原案である佐木隆三氏の『身分帳』を読んだ。本来の名前は山川(これも正確には本名ではない…というのは本を読めば分かります)。なんで変更したのかは巻末の解説を読んで欲しい。

読み終わって驚いたのは、概ね原作通りだったこと。ちょっと気になった会社員に絡むチンピラ2人も原作には出てきていたし、映画の終わりも本に書かれた内容をベースにしている。結構丁寧に映像化しているんだな…と思ったが、こちらは時代が昭和から平成初期にかけての話だし、やっぱり現代の話として描くならもう少し変えても良かったような……。
『身分帳』も1つの作品として充分に楽しめました。七転八倒、挫折の連続の日々なのにこうも胸に響くのは、主人公の生きること・生活することへの渇望が伝わってくるからかも。

両方浸ってみるのも、ありかもしれませんね。

身分帳 (講談社文庫)

身分帳 (講談社文庫)

『KCIA 南山の部長たち』沁みました。

韓国で実際にあった大統領暗殺事件を実行犯の中央情報部部長の目線から追いかけた実録映画。

この映画で描かれた事件の後に軍部のクーデターが勃発。全斗煥の軍事政権が始まり、映画でいうと『タクシー運転手』『1987』へと繋がっていく。韓国の時代の流れを映画で追うのが好きな人にも必見ではないかと。こういう歴史モノを娯楽度も高めに描けてしまえる韓国映画に対する株、また更に上がっていく。

とにかくイ・ビョンホンが素晴らしい。笑顔を一切封印しながらも、かつて共に革命を成し遂げた同志たちとのすれ違いから、哀しみや怒りが滲み出る。
スパイ映画のような諸外国との駆け引き、渦巻く陰謀が映画を盛り上げるが、愛憎の人間関係の中心にいるキム部長の心情を追いかけていくだけでも沁みるものが多い。
周りの役者陣も素晴らしいからこそ印象深いというのもある。警護室室長のごますり具合が最高に厭で最高。閣下役の人が『工作 黒星と呼ばれた男』の北朝鮮側のあの人だとは思わなんだ。

小道具が上手く使われていると作品に対する好感度が高いのだが、本作では煙草が印象的。火をつけ合うという行為は物理的にも相手に近づく手段でもあることを感じる。それが出来ない、させてもらえない故に離れざるを得ないキムの姿が切ない。
そしてお酒。仲間内でしかやらないお酒の割り方としてマッサが出てくるのが泣ける。きっと若い頃は毎晩これを飲み、歌を口ずさんでいたのではないかと感じさせる行間があった。

本編が2時間なので1時間毎に山場があるが、どれも素晴らしい。フランスでの元部長を処理するシークエンス、風で飛ばされる帽子から始まる遂行がツボ。結局追い詰められた元部長がすべてを悟った瞬間の顔、作戦終了を聞いたキムの耐える顔。この顔の繋げ方が素晴らしい。
終盤の暗殺実行の、決してスマートではない流れも良かった。血で滑る! あそこはある点からワンカットで撮りきっているところも良い。

スパイ映画としても、友情映画としても楽しかった。
1月から好きになれる映画を観られて良かったです。

『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』を観てほっこりした。

ドニー・イェンが特殊メイクによる肥満体型で素早い格闘術を見せるのと、元々大柄な体型で「デブゴン」という単語から一番に連想されるサモ・ハン・キンポーが激しいアクションをするのでは、やっぱり大きな違いがあると思う。
なので観る前はどうなるものかと少々懐疑的な姿勢でいた。

そんな中で意外と驚いたのは、ドラマ部分で太る過程を丁寧に順序立てて描写していたことだ。犯人逮捕時のトラブルで異動、婚約者と喧嘩して別れ、足の怪我…。いくつものゴタゴタで溜まった精神的なストレスは主人公を過食へと走らせる。怪我した当初のみと思われたやけ食いはいつの頃からかルーティンになり、結果的に彼を随分と太らせた。
肥満であることが彼の心中の悩みとそのまま重なるようなドラマパートとなっているのである。
そんな主人公が、自分は単なるトラブルメーカーなのかどうかの悩み、一度別れた彼女との関係がどうなるかなど、舞台を日本に移して描かれていく。
作品全体はコメディ映画としての軽さを重視していて適度に緩いのだが、主人公まわりの物語は結構印象に残った。

元恋人ともう一度話し合う為に居酒屋で酒を飲んでいると、緊急地震速報が鳴って地震が起きる場面がある。主人公が店内の人の無事を確かめる姿を見て、元恋人の彼女は、彼にとって刑事とは天職であることを悟り、むしろ自分から離れようとする。地震がよく起こる日本が舞台であるのを使って、このように想いのすれ違いを描くのが、自分には新鮮だった。

日本側からも幾人か日本人役者が出演。
渡辺哲がヤクザの組長を演じていたり、アクション方面では島津健太郎や三元雅芸が出ているのが良かった(島津氏はアクション中心の役者という訳でもないが、和製アクション映画のドラマを盛り上げる枠で出演しているので)。これは監督としてドニー・イェンと長年タッグを組み『るろうに剣心』シリーズでも活躍する、谷垣健治監督がいたからだろうか。弟子筋の園村健介監督の関わる映画によく出演する二人だ。
遠藤警部を演じる竹中直人、2000年代の日本のコメディでよく見かける竹中氏のキャラクターだったので、妙に懐かしい気持ちになった…というのは余談。でもこの作品の空気には合っていたような気がする。

また、アクションが非常に素晴らしい。
あらゆるものがいたるところで破壊されるのは気持ちが良いし、ドニー・イェンの動きはやっぱり凄い。
新宿歌舞伎町での集団戦アクションはその辺にあるものを使って倒すこともあってか、背景の街並みの作り物っぽさ(しかしあまり現実とかけ離れ過ぎてない感じもある)『龍が如く』を思い出した。もっと新宿の色々な場所で戦って欲しい気持ちもあったが、築地や東京タワーと場所を変えたアクションが観られたので良しとする。

ドニー・イェンの蹴り技、特にソバットは見ていて惚れ惚れする。スローで何度もじっくりと見せるのではなく、激しいアクションの連なりの中で僅かに映るからこそ、空中での重さと鋭さ、冴えが映える。
初詣の気分で拝ませていただいた。

観終わった後に微笑ましい気持ちで出られました。

※イップ・マンは3作目が特に好きですが、貼るのは去年の新作。同じく蹴り技の貴公子ことスコット・アドキンスが頑張っています。

イップ・マン 完結(字幕版)

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『新感染半島 ファイナル・ステージ』は主人公が違っていた気がする

2021年初の劇場鑑賞は『新感染半島 ファイナル・ステージ』にした。
予告を観てもゾンビの数で景気が良さそうに思えてしまう。わしゃわしゃだ。

ゾンビが跋扈する終末世界で、少女は車をテクニカルに操り、疾走するゾンビを退ける。
別の場所では、大人たちがゾンビから人間が逃げ切れるかどうか賭け事に日夜興じている。
これらの人々は年齢も境遇も異なるが、舞台となる半島は、まるで子どもの遊び場の様相を呈している。永遠に終わることのない、ただ死が訪れるのを待つだけの遊び場ではあるが。だが少女にとっては、家族がいればそれだけで悪くない世界だった。

そんな世界に外部から一人の男が現れる。
彼はこの世界を脱出する鍵となり得る動機を持ってやって来た。そして彼もまた、少女の母親を見て察する。彼女は、かつて自分が見捨てた親子の母親だと…。

『新感染半島 ファイナルステージ』は『新感染 ファイナル・エクスプレス』の4年後を描いたポストアポカリプス映画だ。邦題が長すぎて嫌気がさすので、『感染半島』と省略する。
一応続編だが主人公や関連人物は前作と切り離されているので、独立して鑑賞することは可能だ。

そもそもこのシリーズは前作の『新感染』だけでなく、アニメーション映画の『ソウル・ステーション/パンデミック』が前日譚として存在している。それを含めると同じ世界観で作られた映画は本作で3作目だ。
『新感染』と『ソウル〜』は、ゾンビが溢れ始めた社会で浮き彫りになる人間の心理をまるでコインの表と裏のように描き切った、と私は考えている。

だからその次となる『感染半島』がゾンビの溢れた状況が日常と化した世界を舞台とするのは当然のように思える。
だが今回は設定する主人公を間違えていた気がしてしまった。

映画の冒頭でゾンビが出現し始めた韓国の状況を説明するシークエンスが終わった後、次に出るべきだったのは、少女と妹、その家族の半島での生活だったのではなかろうか。少女の日常と非日常を中心に据えて描くことで、最後の愁嘆場と生命への執着はより深まっていた気がするし「私たちがいた世界も悪くなかったです」という言葉の裏側にある家族への想いがもっと伝わったのでは…と思った。
少女だけではない。最初は人々を助ける為に奮闘していたはずの軍人達は、ある者は快楽に走り、別の者は絶望に浸っている。彼らを描くことにもう少し時間を割けば、もう少し良いキャラクターになっていた気がしている。

とはいえドラマ的に良い点も本作にはある。
生き延びて香港で生活していた元軍人のジョンソクが店で飲んでいると、半島から来た奴らと罵られ、病気が伝染るからどっかへ行けと排除の声をぶつけられる。
コロナが蔓延する現代の状況下と偶然にもシンクロしたような感じがして、生々しいものを感じた。

色々とドラマ面で不満はあるが、アクションは素晴らしい。超絶ドライビングテクで、ゾンビの跋扈する終末世界を生き抜く天才ドライバー姉妹の活躍は舌を巻く。こんなキャラクター設定を成立させてしまう力技には驚いた。
また、カン・ドンウォンの俊敏な動きと銃撃を組み合わせた接近戦も見る価値あり。

前の2作は気にせずに楽しむのが良いのかもしれない。
なんか『マッドマックス』や『ワイルド・スピード』以上にハンドルを切ってた気がする。ぶつかり具合は良い勝負だが。

新感染 ファイナル・エクスプレス(字幕版)

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ソウル・ステーション/パンデミック(字幕版)

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年初めに『パラサイト 半地下の家族』を観る。

日本国内で公開して約1年越しにようやく鑑賞。
みんな絶賛してるし、まぁしばらく続くだろうと高をくくってたらこんな事態に…。
そんな時にNetflixで配信が開始されたのでちょうど良き。と思ったら金曜ロードSHOWで放送するという。まぁそれでも良いかと新年一発目の映画。
通常版だけでなくモノクロ版も同時配信したので、続けて鑑賞。新年二発。

ひたすらにポン・ジュノ監督の演出が巧く思えて唸っていた。縮図が見せる重さをこんな軽快に、時に毒のある笑いも含んで描くことに。

会話の端々から微妙なすれ違い、ある一瞬の出来事で通じ合ってしまう過程が描かれていて、人物のやり取りを見ているだけで興味深かった。
においの話で少しずつ鬱憤が溜まっているギテク演じるソン・ガンホの繊細さが絶妙。
ドンイクって結構怖い人ですよね…と思わせるイ・ソンギュンも良い。

雨によって結果的に一同が介する状況になり、貧富の差の縮図が一層浮き彫りになる展開は、見つかってバレてはいけないサスペンスだけでなく、普段隠された相手の本音が明らかになることで揺らぐ人間の心理と、様々な要素を含んだ転がりをしていくので面白い。そのような状況はまるで地下へ引きずり込むように、家族をどんどん光の少ない場所へ追いやっていく。豪邸に住む側がどんな場所でも(たとえソファの上でも)常に一番に光が当たるところにいるのとは対照的に。

通常版は格差社会の表現として特に多様な色彩が印象的で、モノクロ版は色が絞られることで陽光が入り込む範囲、暗闇が目に焼き付く。特に中盤以降、頻繁に降りることになる地下へ降りる入口の暗さは視界の隅で存在感を残す。この暗闇に人は何を見るのか。劇中の人々の立場によって、闇がもたらすものが異なっているように思えた。上の人達にとってはあり得ないと思える出来事が這い上がってくる予兆・恐怖、地下に生きる人にとっては、助け・生きていることを伝える叫びではないかと。

階段の昇降が2つの世界を繋ぐように描かれていて、その描写は勿論この映画の核。だがどちらかといえば色の使い方、陰影のコントロールが、分断された1つの世界を表現する演出として自分の印象に残った。これはモノクロ版も観たからだろうか。それとも光を使ったコミュニケーションであるモールス信号がキーになるからだろうか。声が届かない場合の最良の手段でありつつ、一部の限られた人にしか届かない方法でもある哀しさを感じる。
時に真剣に時に悪趣味な笑いを交えながら描かれた縮図の映画として、新年から良いものを観た。

ただ細かいところで申し訳ないが、監視カメラちゃんと切れてますよー! の配慮のカットは無くても良かったんじゃないかなーと思ったりしてしまう。ダヘがギウの正体に気付く描写が無かったから(無くても状況で伝わるのでこの省略は正しい)、そんな風に思ったのかも。

ところで終盤の包丁を持ち出すところが『CURE』(黒沢清監督作品)っぽいなーなどと思ったのは勘違いでしょうか。

パラサイト 半地下の家族 (字幕版) (4K UHD)

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  • 発売日: 2020/06/19
  • メディア: Prime Video

『怪獣総進撃』でゴジラの息子ミニラを可愛く感じるようになったというメモ

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』がもうすぐ公開するということで、その宣伝としてなのか、Amazonプライムで全ゴジラ映画が観放題になっている。今回はゴジラだけでなくモスララドン、そしてキングギドラも登場して大怪獣バトルが観られる、らしい。そういう内容のようだというのを予告で観て、過去作を観る気になり、さっそく行動を起こす。

といっても、未見の作品を中心にという感じなんだけど。

 

そんな中で観た『怪獣総進撃』は大層面白かった。

もうゴジラ含め様々な怪獣は地球の人々によって怪獣ランドという島で管理されているのだが、それが謎の宇宙人の襲来によって島から飛び出し、世界各地で大暴れする。実はその暴れるのにも理由があって……という筋書き。アクションに次ぐアクションで繋ぐ展開は観ていて飽きないし、宇宙船SY-3のデザインはペンシル状のスマートさでカッコいい(ドッキングや車両格納なんかのギミックも堪らない)。上空から怪獣や大地を走る戦車を捉えた特撮映像なんか、これだよなこれ、という気持ちにすらなる。

終盤の空中戦なんて最高だ。

 

そんなところでミニラだ。

ミニラとは調べてもらうとすぐ分かるが、ゴジラの息子だ。メインの作品が二つほどある。『ゴジラの息子』と『オール怪獣大進撃』だ。後者は少し特殊な作品だけど。前者はナショナルジオグラフィックスの動物ドキュメンタリーを見ているかのような味わい深さがあって、特にラストカットはグッとくる。怪獣を動物としての側面から見た時に非常に素晴らしい場面だ。やっぱり親子なんですよ二人は!

 

とはいえそんなミニラ、自分は昔は好きじゃなかった。というのも自分が初めて触れたゴジラ作品は90年代のVSシリーズで、それにもゴジラの子どもが出てくる。それがベビーゴジラだ。自分の中ではそれがゴジラの子どもだった。だから当時昭和のゴジラ映画の紹介か何かでミニラが出てきた時は、拒否感が猛烈にあった。ゴジラに子どもがいることについては拒否感は無かった。だってベビゴジがいるんだから。そりゃいたって良いだろうと。

 

しかし最近は「まぁゴジラだって色々作品あるし、こういうのだってありだよね。好きな人もいるし」と思ったりしていた。そんな時に観た『怪獣総進撃』だ。

ここからは『怪獣総進撃』のネタバレなので注意。

 

怪獣総進撃』では終盤に富士山周辺でキングギドラゴジラを筆頭とした怪獣達の激闘が描かれる。怪獣が集合していっちょやったるかといった風に佇む姿は言葉は無くとも「アベンジャーズ アッセンブル!」な雰囲気を感じて、少し燃えた。実際は人間側に操られているのでどの程度自分の意思があるのかちょっと分からないが。

 

各怪獣達が全力を尽くしてキングギドラに挑む。モスラやクモンガは糸を吐いて動きを止め、アンギラスは噛み付き、ラドンは羽をばたつかせて砂嵐を巻き起こし、ゴジラは全身を使って掴みかかる。いや、壮観だ。

 

それをミニラは脇で、はしゃいでいる。何をしているんだ君は。

他の怪獣達が頑張っているのに、君はなんではしゃいでいるんだ。というかなんで君は来たんだ。親の応援なのか。

などと色々と想いが頭に浮かんだのだが、その全身で喜びを表現しているようなはしゃぎっぷりが、とても可愛く見えた。正直自分でも驚いたが「しょうがねぇ奴だなこいつは」とおおらかな気持ちで見ている自分がいた。

もしかしたらこのはしゃぎっぷりはいま画面の目の前で起きている激闘に胸を躍らせている観客である自分を投影しているのかもしれない。

怪獣達の血が噴き出す戦いを見て喜びを見出す君もまた怪獣なのだと突き付けてくる存在がミニラだったのだ。

 

というのが制作側の意図なのかどうかは置いておく。

ともかくキングギドラと怪獣のバトルにはしゃぐミニラが可愛かった。

ちゃんといるだけじゃなくて攻撃もするからね。とどめは君みたいなもんだからね。

その後に倒れたギドラをバンバン踏みつけるんだよね。やっぱり容赦ないですわゴジラの息子さん。

 

きっと時間が経てば色々赦せるようになっていくんだろう。あと一つのジャンルで色んなものが作られたら次第に「こういうのもアリだよね」って気持ちにもなる気がする。

だから貞子もこれからどんどん作って下さい。何なら色んな映画監督による『貞子アンソロジー』を作って下さい。女性の映画監督による貞子とか観てみたいですよ自分は。

なんか話が脱線してきたので終い。

 

 

怪獣島の決戦 ゴジラの息子

怪獣島の決戦 ゴジラの息子