『回路』を観て少しだけ胸に沁みたというメモ。
神保町シアターで開催中の特集上映「こわいはおもしろい――ホラー!サスペンス!ミステリー!恐怖と幻想のトラウマ劇場」。
何といっても(個人的な)注目は黒沢清監督の映画『回路』の劇場上映だ。
DVDでレンタルして自宅で観ていたけど、映画館で鑑賞するのは初めて。
初鑑賞当時は終末世界に至った時に見える光景や飛び降り自殺のVFXが印象的だったけど、今回劇場で観たら別のところに目がいった。
そういえばDVDの映像特典で黒沢監督が本作の飛び降り自殺のシーンの作り方を丁寧に解説していたんだけど、その丁寧さに笑ってしまった覚えがある。
そんなに力を入れていたのか……という驚愕から来る笑い。
この監督のVFXの使い方は好きで、『リアル 完全なる首長竜の日』も特殊な映像効果は好きだった。
閑話休題。
ともかく自宅から映画館へ、鑑賞環境が変わると気付くことも変わる。
今回初めて気付かされたのは、無音の場内で聞こえてくるダイヤルアップ接続の音は不気味ということだ。
冒頭、明かりの消えた場内に微かに聞こえてきた接続音に初めてゾッとした。
今では当たり前のように使われているインターネットも製作年の2001年前後では
まだまだ未知の世界が広がっているイメージが強かったように思う。
もしかしたら現世とは違う場所に繋がってしまう……なんて発想も出来るし、
それを本当に黒沢清監督は映像化してしまった。
接続中に流れる音は、この世とあの世を繋ぐ儀式の一つのようにも感じる。
同時にそれはこれから始まる映画に私たちが繋がる瞬間も表していたのかもしれない。
「回路」というタイトルが出る時、「回」の字の「□」を赤くして強調する。
その強調は映画全体を表していて、本作は「孤独」を映像的に演出する。
他者といてもいなくても部屋・世界に一人ぼっちという空間を見せる徹底した撮り方。
一人暮らしの部屋に二人以上いる時、こんなに物理的距離の遠さを錯覚させるのかと思った。
一つながりのリビングとキッチンがあれば端と端にそれぞれ人を配置し、
部屋が複数ある広い間取りならばその部屋を壁のようにして二人の間に仕切りを作る。
人間関係の分断をとことん見せることに一切の疑いが無く、確信を持っている。
これが出来る監督の強さが凄いし、恐ろしい。
そんな孤独を最後まで常に強調されると、主人公の一人である川島の向こう見ずな言葉1つ1つが何だか沁みる。
以前観た時はそうでもなかったのに、彼の若さにグッと来てしまった。
演じるのは加藤晴彦さん。この役者さん、なぜか分からないがホラーと縁がある。
他の黒沢監督作品にも出演しているけど、『世にも奇妙な物語』で林原めぐみさん(声のみ出演)と共演した『声を聞かせて』なんて絶品だった。またホラーに出て欲しい。
若者という言葉に対するイメージにピタリとハマるような、そんな雰囲気を本作では漂わせていた。
だから余計なことを考えず、話す言葉が自分の胸に来たのかもしれない。
人は最終的には孤独になっていく。
なっていくが、孤独になる「前」は消えないのではないか。
劇中で度々登場する黒い染みは絶望の形だとは思うんだけど、
一人になっていく人間にとって先に進む動力にもなり得るように感じてしまった。
自分の精神状態のせいか?
よく分からないが、麻生久美子さんの最期の語りなんかにも妙に感動。
ともかく映画館で観て良かった作品だった。本作は海外でBlu-ray化している。
ちょっと購入検討中です。
相変わらず終末風景は素晴らしかった。黒沢監督のSF映画、観たい。